ThinkPadはこうして生まれた。

thinkpad はこうして生まれた
こんにちは。カトーです。都内はいつ梅雨明けでしょうか?どうもジメジメした天気だと気分も落ち込みます。

 

それはそうと、先日秋葉原のブックオフで「ThinkPadはこうして生まれた」(内藤在正 著)を見つけて買って読んでみました。

意外と知らなかったThinkPadの歴史

私が初めて自分で買ったThinkPadは今から16年前の2000年発売のThinkPad i 1200 1161-264です。当時、勤めていた会社では本社にドミノサーバーでNotesが動いていて、まだ回線はISDNのテレホーダイ時代でした。で何となくその当時からThinkPadは値段的に高価で他のノートよりスペックは低めだが、パーツ交換が容易だという印象でした。

 

本を読み進めていく上で知ったことは

  • ThinkPad開発は日本の大和研究所(神奈川県大和市)で開発されていた。
  • 当初開発はEMI(電波障害)で悩まされた
  • ThinkPadシリーズ最初のモデル700C(日本名はPS/55note C52 486SLC)
  • 当初筐体は白で開発していたが、リチャード・サッパー氏と本社IDチームが来て、黒くなった。
  • 角ばったデザインは大和研究所の山崎和彦氏が松花堂弁当からデザインを発案した。
  • ThinkPadの名称はIBMの社内標語「ThinkPad」から……などなど、冒頭から知らない事が多く書いてある。
    まあ、技術的な部分は本人がアスキーの取材で4年前に答えたほうが詳しいですね。
    参照:ThinkPadはなぜ日本で作られたのか
    http://ascii.jp/elem/000/000/751/751933/

間違った判断と間違った製品

この本の中で面白いのは間違いだったと認める記述がいくつかあること。

大企業だけでなく、より多くの方に使ったいただけるように価格は抑えたEdgeシリーズでした。(略)実は「大企業向けの市場が成熟市場で、もう成長期待はない」という観測は間違いでした。低価格帯にシフトしたThinkPadを市場に投入する試みは、これが初めてではありませんでした。ただ、それ以前はどうもやり方を間違えていたのです

発売から1年で生産中止のLenovo 3000

発売から1年で生産中止のLenovo 3000

(レノボに変わって)すぐにレノボ3000というマシンを開発し、市場に投入しました。ThinkPadとい名前を使わず、あえてトラックポイントも搭載しませんでした。正直、あまり成功しませんでした。(略)この製品は1年程で生産を中止しました。続いて満を持して登場したのがEdgeだったのです。

本ではあまり触れていませんが、結構ThinkPadは特殊なノートも多かったです。長い歴史の中で、「え?なにそのノート?」っていうのも多くあります。

ThinkPad 550BJRS/6000 Notebook 860ThinkPad 755CDV
ThinkPad TransNoteある意味画期的なノートパソコンを生み出しています。……な、長い歴史ありますものね。ええ。そういえば、液晶2枚付いているノートもありましたね。

ThinkPad W700/W700ds

製品を生み出すという事

一応、元プロダクトデザイナーでありますので、この開発に関わる部分は本当に面白いなぁと読んでいました。……と同時に日本の独自の製品といいつつも、その過程で日本技術部分は他の企業に流れて、かつ競争力がなくなったのはこの頃という現実も考えると悲しくなってきたりです。またノートパソコンも当時は30万円は当たり前で、だからこそパーツを交換して長く使うという考えがありましたが、数万円で数年ごとに交換するという時代になった今、”ThinkPad”という過去に輝くブランドは悲しく思えたりします。

 

 

 

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ちなみに何年か前にタワー型のDELLサーバでスケボー作ったりするアレな私が言う事じゃないですけどね。

 

カトー

この記事を書いた人:カトー

一応会社の代表、元デザイナー
FPSゲームが大好き。Quake時代からの叩き上げ。
最近は仕事に追われて全くゲームしていない41歳

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