皆様、こんにちは。スタッフTでございます。
前回に引き続き今回も『子供』の事についてのお話です。
何をもって「貧困」というのか
ネットでニュースを読んでいましたら、こんな記事を見つけました。
母を自殺で失った25歳が、「子どもの貧困」対策センターを立ち上げるまで
http://promotion.yahoo.co.jp/news/social_contribution/1608/
今や「子供の貧困」は6人に1人の割合だそう。
確かにニュースなどでも親が子供を殺してしまったり、DV、ネグレクトなど耳を疑う様な事件が多いですよね。
マスコミで流されているモノというのは、そもそも既に選別されていますからどの分野も満遍なく情報が入ってくるわけではありません。所謂ネタになりそうなモノ、話題性のあるモノに集中したりするわけですよね。それに記事を書く記者の主観等も加味されています。
食事もろくに食べさせてもらえない、一般的に生活や学業に必要な物を与えてもらえない、進学したいが費用を出してもらえないので進学できない、等一言で「貧困」といっても人其々の基準は様々です。
物や食事だけでなく、愛情や教育に飢えていても「貧困」と言えるのではないでしょうか?
義務教育の内にかかる学校での費用(教材費・修学旅行・給食費など)は全員が強制的に徴収されるわけですから、そもそもここも全て税金から賄うべきではないのかと思ってしまいます。
義務を強いておきながら、公立の小中学校において親が費用を支払えないから修学旅行に行けない・給食を食べられないなど、平等に教育を受ける権利を妨げているのではないのでしょうか。
子供の内から格差を生み出してしまったら、負の連鎖など止められる訳がないないですよね。
母を自殺で失った25歳が、「子どもの貧困」対策センターを立ち上げるまで
つい先日、お酒の席ではありますが
A:「裕福じゃなくても最低限の生活が出来ていればいいんじゃないか」
B:「それはあなたの価値観で、子供はそれでいいと思ってるとは限らないじゃん。お友達はあんな習い事してるから私もやりたい。どうしてやらせてくれないの?とか平気で言うから」
B:「進学したかったのに、お金がなくて行かせてもらえなかったから、今俺はこんなんなんだとか大人になってからでも言うよ」
なんてやり取りが。
子供に言わせたらしてもらって当前、どうして私はしてもらえないのか、何かあれば自分ではなく親のせいな訳ですよ。
以前20代後半で
「親が離婚したから俺はこんなになったんだから、自分のせいじゃない」
と言った人がいましたが、今時親が離婚しているなんてざらにいるわけで、それでも真直ぐに育っている子も沢山います。何を甘ったれた事言ってるんだと思いましたけどね。
諸事情あれ子供を虐待するような親を除き、自分の子供に出来る限りのことをしてあげたいと思うのが親の気持ちですよね。出来なくて申し訳ないと思っている人は沢山いるはずです。
そんな親の思いとは関係なく、せっかく入った学校を辞めてしまったり、ニートになったり、自分は努力もしないくせに出来ないことを親のせいにする子もいます。
日本は先進国として認識されていますから、今や戦時下のように皆がお腹を空かせていたり、栄養失調になるほど飢えていたりなんて表面的にはありませんよね。
でも確実にいろんな意味で「足りていない」といえる子供達が増えているのは事実です。
ある程度大きくなって、自分の気持ちをちゃんと言えるようになれば助けを求めることが可能ですが、助けてくれる人がいることすら知らない乳・幼児や小学生でも低学年など、どんな酷い目に合わされても親を求めるしかないのです。
そんな弱き者、守られるべき者を虐待する親など、例えどんな理由があっても許すことは出来ません。自分で生み出した命への責任を何だと思っているのでしょうね。
子供の思い・親の思い
我が家の子供達も例外ではなく奨学金のお世話になる予定ですが、今迄はなんとか人並みな事をしてこれたかなとは思っています。只々私の意地だけでなんとかしてきただけですし、まだ子育ては終わっていないので真最中でございます。そりゃあもう大変でしたよ、ホントに・・・
それでも子供の笑顔がその苦労を吹っ飛ばしてくれるのです。