僕がデザイナーを辞めた理由

僕がデザイナーを辞めた理由
お世話になります。代表の加藤です。
おかげ様で4月の法人化から体制が整って参りました。スタッフからもっと顔を出せよ代表だろ?と言われて今月から露出度アップを狙いソレらしい画像ですよ。ええ。

 

それはそうと世間では東京オリンピックのロゴマーク絡みで佐野研二郎氏が批判を浴びて「人間的に耐えられない」と話題なり、過去の作品も色々を”モチーフ”にしていると関係者にも波紋を広げてますね。元デザイナーとして色々と思うがあったりなのです。折角なのでデザイナ-を辞めた理由でも書いてみますよ。

意外と簡単にデザイナー職になれる

一括りにデザイナーと言ってもDTP(印刷物)から商品の3D系のプロダクトデザイン、またPCのなどの基板を設計する人もデザイナーと言われるのでデザイナーと言っても多種多様です。ちなみに私がやっていたのはグラフィックデザインからDTP、そしてプロダクトデザインまでやってましたよ。パソコンのマウスやプリンターの製品デザイン、街で見かけるような看板のデザインから美術館のポスターや海外サイトなどなど。

 

期間は2006年から最近までなので、約10年程をSOHOというかフリーランスのデザイナーという形でやってました。手前味噌ですがデザインして製品がグッドデザイン賞とか地方の団体の賞など受賞した事もあります。

 

 

先に結論から書いてしまうと意外と誰でもなれてしまう職業だったりします。もちろん有名になるのは難しいですが。それと他人のデザインをパクってなんて本当にまかり通ってる業界ですし、ここだけの話し音楽もそうですが何かを”モチーフ”やら”サンプリング”やら”インスパイアされた”なんて良くある業界。また勝手にデザインや画像の著作権を申請してそれ俺のデザインだから寄越せっていう弁護士会社もある世界です。まあ、それはまた後日でも。ちなみに私はキチガイの様に身を削ってオリジナル創作で消耗するタイプでしたよ。マジです。

どうやってデザイナーになったのか?

私は元パソコンヲタク少年。小学校の頃はベーシック言語を音楽カセットテープ記録して雑誌に投稿するような少年でした。学校を出てからは普通の建築不動産関係の会社員を30歳までやってました。会社員時代も20代後半から久々に趣味でパソコンを触り始めて、グラフィックデザインやプログラム。気が付くとデザイン賞を取れたり公開していたプログラムが結構なダウンロード数で”あれ?これ商売になるかな?”と勢いで個人事業主届けを出してデザイン事務所を設立。

 

 

当時まだ確りとSEO対策しているデザイン事務所のWEBサイトは少なくて、あれよあれよいう間にオンラインで仕事が舞い込む様になり、気が付くとデザイナーとして何となく活動してました。

圧倒的な知識と技術の無さで翻弄する毎日

実際にデザイナーとして活動してると、DTPの仕事がくるのです。断ってもね。なので挟持というか断れないケースもあるし、欲もあるし。まぁ、ホームページやグラフィックデザインをしてると印刷の仕事は切っても切れない関係です。

 

じゃ、チラシも御願いとかカタログも御願いとか依頼されます。ですが、仕事は来るけど印刷の知識がない。特に印刷系仕事が多く”え?なにそれDIC指定でDIC??”とかいうレベルです。なので恥を忍んで印刷会社にアルバイトさせてくれと行きます。

 

当然オペレーターならいいけどデザイナーは不要ですと断られ続けるも、じゃ給料無しね?と言われ無給料で入ります。完全に奴隷というかブラックですね。ですが、こちらも必死です。だって独立したのはいいけど、寝る前も無く勤め先でWEBサイト作ったり印刷工場へ行ったり自身の仕事で営業したり制作したり。

 

努力したお陰で2年目から独りで打ち合わせから納品、そして印刷を含むデザインも”デザイナー”として仕事をできるようになりました。どこぞの若造グラフックデザイナーと違って現場知ってるものな?と現場からは有難られたりです。それでも美術館ポスターを請けて色合せで何度も学芸員と色合わせは未だに夢みます。もうシャガールは死ぬほど嫌いになりました。同じ青ならコバルトサーバーの方が良いですと。

フリーランスだと忙しい割に儲からない

デザイナーというと綺麗な仕事で儲かる的なイメージがあるかと思います。私はありました。ですが実際に個人でやっていくと月収300万越える事もあれば、ゼロ円の月もあるいう恐ろしい波があります。誤解を恐れずに書けば50~100万円程度の製品デザインの仕事は結構あります。また数万円のDTPのデザインの仕事吐いて捨てるほどあったりします。

 

しかし製品デザインを例にだして書けば、通常内部設計待ちを含む工程で2~3ヶ月掛かる事は良くあります。合わせて調整で1ヶ月、納品まで4~6ヶ月なんてザラです。起案からとなると半年は越えたりします。100万円のデザイン仕事を請けても月で計算すれば16万。給料じゃないですよ?売上ですよ?それじゃ生活できないので、10件以上プロダクトデザインを請けなければならないし、印刷からWEBサイトもバンバン請けないと生活できないのが現実。

 

横目で数千万円近いコンペを見ながらも日々の生活為に仕事し、またそのコンペに出したくて資料を作る時間も無い。そんな生活を続ける事になります。そうです。毎日徹夜ですよ。

精神的に削れてくる

そんな生活を数年すると馬鹿でも気付きます。”あ、これ個人では無理だわ”と。決定的だったのは年末に請けてほぼ毎日徹夜。正月休みなし。また悪い事に現場オペは海外のオフショアとか。5年目あたりで、生活も精神もここらでキツい状態に。仕方ないので知り合った会社で勤める事にします。プログラムも作れるので嫌らしい話しですが、すぐ仕事は見つかる立場でもありました。

 

当然フリーランス時代の仕事も掛け持ち。忙しいですが安定してきます。もう会社員肩書が付くと戻るとぬくぬくです。だって言い方は悪いですが遊んでいても、休日は休んでいてもお金貰えるのです(当然)。ですが悲しい事に勤めた会社の資金的情勢不安で1年後に数名と共に解雇。長く続かずまたフリーランスに戻ります。もっと短期に貢献できなかったかと残念に思いますが、これは経営的な判断が多く私が口を出せる立場はないので、申し訳ない。

僕がデザイナーを辞めた理由

そんな中、有る時に代理店を通さずにお客からプログラムの納品業務を請けました。PHP+MySQLのWEB系のシステムです。納品後にクライアント様から「保守してくれますか?月2万円くらいで」え?え?となります。毎月お金くれるっていうんですよ。

 

良く調べてみると代理店から受けたプログラムも実は皆保守とかお客からお金を取っている事が今更気づきます。

 

気付くのは遅すぎです。

 

 

もうデザインで単発で稼ごうというよりシステムや何かの保守で稼ごうと考え出します。結論を書くと毎月制作業務より制作したもので毎月管理が一番だと。というか気付くの遅すぎましたよ…。なので代理店を通さず自ら請けて保守など。

 

 

当然、要約書やら設計などまたスキルがどんどん必要になっていきます。当たり前ですね…。もうデザインする時間なんて無いのですよ。えぇ。

まぁ、そんな甘くないよね?

毎月保守や稼いでいこうと方向を変えてから変更して5年程掛かりましたが、システムガーディアン株式会社設立に至ります。都内のネットカフェで直ぐにお客様の所に行けるように4年程は秋葉原のネットカフェに週半分くらいは生活していたり営業したりと甘くは無かった今更思います。

 

 

もしこれを読んでいる貴方がデザイナーにもなりたくて、
プログラム組みたいなーなんて思ったら、ぜひ応募してくれてもいいんですよ?

我が社に。ええ。
いや、応募してくださいませ。
もうそれはそれはちゃんと教えます。
いや、教えさせてくださいませ。

 

加藤

この記事を書いた人:加藤

一応会社の代表。
PC自作もスクリプト組も大好物な40才。 元デザイナー。 髪が薄くなるという難病を抱えている。 
必殺技: 徹夜明けの黄昏れスマイル


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